2010年8月13日金曜日

藤川優里 水着写真集

小池栄子のFカップは当初騒がれたが、今やF〜Hカップは当たり前で、J〜Lカップを持つグラドルまでもが出現している。現在、日本のグラドルで最高のカップ数は風子のPカップ(120cm)だとされている。 グラビア界を席捲した「巨乳でなければグラビアアイドルになれない」という定説は若槻千夏、小倉優子、山本梓、安田美沙子などバストサイズが80cmそこそこのスリムビューティーなアイドルも多数活躍しており、完全に崩れた。

胸が豊かに見えるかどうかは単純にバストサイズの大小の問題ではなく、胸とその下のウエストサイズの比較で大きく見せられる場合がある。近年ではスカパー!などで、グラドルのチャンネル、放送番組も普及している。桜井美春が「ほしのあきを超えた、最年長グラドル」として話題となった。青森県八戸市議会議員・藤川優里がDVDや水着写真集を発売したことも話題となっている。

2009年2月15日日曜日

グラドルとキャンペーンガール

浜田翔子が表紙と巻頭だが、疲れに近い物を感じるのです。本人の疲れとかではなく、撮影時の表情の方向性の問題なんだろうが、表情が硬いんですよね。その表情のこわばりが、見る側に不安定な印象を与えています。衣装面は割とバリエーションに富んでおり、面白みもあります。

南明奈は写真集買ったので、写真集見て思ったこと含め写真集レビューの際に詳細に書きたいのですが、彼女は雰囲気後藤真希、表情の出し方が安倍なつみという、非常に希有な物を持っていると思います。一方、柏原よしえの豊かな胸・豊満なボディ・美貌は、河合奈保子と共に、グラビアやアイドル水泳大会で注目される実績を残した。

河合とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良い。 話し方に特徴があり(極端に言えばサ行の発音が外国風)物まね番組などで、80年代には、誇張され、よく物まねされていた。癒し系の系譜に入る吉岡美穂が2000年に『サントリーDハイ小町』及び、全日本GT選手権『マリオレーシングチーム・キャンペーンガール』となり業界入りしている。

『トリンプ下着キャンペーンガール』、そして『レースクイーン・オブ・ジ・イヤー2001』受賞を経て本格的にテレビ業界に進出。翌2002年にかつらメーカーのCMに出たことで人気が急上昇。2002年の第40回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞した。

2008年11月17日月曜日

懐かしいアイドル 「C.C.ガールズ」青田典子

「C.C.ガールズ」は、1990年に開催された「日本美人大賞」入賞者から、青田典子、原田徳子、藤原理恵、藤森夕子の4人で結成され、歌手やバラエティー番組などで活躍。 ユニット名はクールで高貴なイメージを持つ美人たち(COOL & CLASSY)ということで付けられた。

初期の頃は「D.D.GAPS」(ディー・ディー・ギャップス)名義も使用し、1991年には同名義で歌手活動を行った。なお、1992年からは歌手活動も「C.C.ガールズ」名義に統一。その後、メンバー同士の不仲や方向性の違いから、1995年から1998年に掛けてメンバーの総入れ替えが行われ、浜野裕子、本杉美香、森洋子、山田誉子の4人による新生(2代目)「C.C.ガールズ」を確立。

セクシー路線だけでなく、インターネットを連動させてコミュニケーションアイドルとして活動することを提案した。この頃、「最初のメンバーが誰一人として残っていないC.C.ガールズ」とも言われた。 水泳大会の撮影席にはカメラマンが殺到、人気アイドルはある程度名前のあったアイドルでも、本当にポロリをTVや雑誌に公開されてしまった者もいた。

A級アイドルでも競技中ポロリした者がおり、さすがにカットして撮り直した、と言う話もある。真偽の程は定かではない。アイドル本人のみならず、事務所としても慎重になるのは当然で、水泳大会でも人気アイドルが出演拒否したり、ビキニをやめてワンピースに移行していった。

2008年3月8日土曜日

C.C.ガールズ 青田典子

2代目卒業の際、オスカープロモーションは「C.C.ガールズ」の名前を残す意向を示し、3代目となる新たなメンバーを2004年春にも決め、同7月にも発表するとしていたが、その後の動きはない。ちなみにC.C.ガールズデビュー前は本名の「森田典子」として、フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』にレギュラー出演していた。

当時は、モデルやコンパニオンで構成される“シーエックス”というグループのメンバーで、ビキニ姿で垢すり中というお宝場面がある。また、1986年から1987年にかけ、『BUNTA』、『月刊プレイボーイ』誌上にて、森陽子としてグラビアも披露している。

2004年頃から、「結婚を諦めて」(本人談)なりふり構わず仕事の幅を広げ、バラエティ番組『ロンドンハーツ』に出演。「格付けしあう女たち」のコーナーで、そのキャラクターから「L'amant(ラマン)青田」「バブル青田」と呼ばれ人気になり、2005年冬スペシャルでは、バブルを代表する画家、ラッセンに絵を描いてもらった。

また同コーナーの中の決めゼリフ「ジーザス・クライスト(Jesus Christ)?」が大爆笑をとりブレイク。 さらに、同番組の企画で、小室哲哉の楽曲提供を受け、「バブル青田」の名で「ジーザス」というタイトルで2006年4月19日にCDデビュー。この企画の一部始終は同年4月11日の『ロンドンハーツスペシャル』で放送された。

2008年2月3日日曜日

グラビアアイドルの条件

グラビアアイドルとは、芸能界に席を置く女性アイドルのうち、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオやDVDへの出演を主な活動とし、なおかつ主に水着姿の写真を売りにする者たちの総称であり、職業分類的な肩書きの1つ。雑誌やネットなどでは名前を略してグラドルとも呼ばれる。グラビアアイドルの主な活動の場は、雑誌グラビアページや広告宣伝媒体のポスターなどの2次著作物であり、特に男性雑誌では、グラビアの被写体次第で売れ行きが左右される非常に重要なファクターとなっている。

グラビアアイドルとして最も重要視される要素は、外見のビジュアルとスタイル、それを保ち続ける若さである。その特異性から、永続的にグラビアアイドルでありつづけることは実質不可能であり、女性が若さを保ち得るある一定年齢を迎えるまでしか続けることができない。一般的にグラビアアイドルは芸能界に進出するステップの1つと捉えられており、後に女優・タレント・歌手へ転身していく者が殆どである。しかしその出自ゆえ、芸能人として本来要求される会話力・歌唱力・演技力に乏しいケースも少なくない。

そのため、グラビアアイドルから退いた後も芸能界で生き残る手段を持ち合わせている例は稀であり、彼女達を世間に送り出すメディア媒体にも限界があるため、新人が次々とデビューする一方で芸能界で芽が出ずに忘れ去られて行く者が多く、「卒業」と称してグラビアアイドルを引退すると同時に一切の芸能活動から手を引く者が後を絶たない。ただし近年では医療技術やメイクアップ技術が飛躍的に向上し、グラビアアイドルを現役で続けながら、俳優業やタレント業も兼務する例も多くなってきた。2003年は、前年まで続いた癒し系を求める流れが一段落し、個性豊かなグラビアアイドル達が多数デビューした年である。この年のグラビア界を席捲した存在といえば井上和香である。

前年からの勢いをバックに『ワカパイ』の愛称で、かのマリリン・モンローと3サイズが同じというグラマラスなボディーと癒しの深み、イタズラっぽいクリッとした瞳と柔らかさが伝わる厚目の唇という多くの武器を兼ね備えた新時代のグラドルとして『日テレジェニック2003』選出を皮切りに、この年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。また『日テレジェニック2003』では後に女優として開眼するサエコも選出されている(前年に道休サエコとして『ヤングジャンプ制コレ2002』準グランプリを受賞)。

2007年11月21日水曜日

グラビアアイドル 雑誌、写真集、イメージビデオ

グラビアアイドルとは、芸能界に席を置く女性アイドルのうち、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオやDVDへの出演を主な活動とし、なおかつ主に水着姿の写真を売りにする者たちの総称であり、職業分類的な肩書きの1つ。雑誌やネットなどでは名前を略してグラドルとも呼ばれる。グラビアアイドルの主な活動の場は、雑誌グラビアページや広告宣伝媒体のポスターなどの2次著作物であり、特に男性雑誌では、グラビアの被写体次第で売れ行きが左右される非常に重要なファクターとなっている。

そういった成立経緯から、外見上女性であること(女性に見えること)が絶対的な条件であり大きな特徴である。よってグラビア誌を飾ることが殆どない男性アイドルに対してグラビアアイドルという肩書きはつかない。グラビアアイドルとして最も重要視される要素は、外見のビジュアルとスタイル、それを保ち続ける若さである。その特異性から、永続的にグラビアアイドルでありつづけることは実質不可能であり、女性が若さを保ち得るある一定年齢を迎えるまでしか続けることができない。

一般的にグラビアアイドルは芸能界に進出するステップの1つと捉えられており、後に女優・タレント・歌手へ転身していく者が殆どである。しかしその出自ゆえ、芸能人として本来要求される会話力・歌唱力・演技力に乏しいケースも少なくない。そのため、グラビアアイドルから退いた後も芸能界で生き残る手段を持ち合わせている例は稀であり、彼女達を世間に送り出すメディア媒体にも限界があるため、新人が次々とデビューする一方で芸能界で芽が出ずに忘れ去られて行く者が多く、「卒業」と称してグラビアアイドルを引退すると同時に一切の芸能活動から手を引く者が後を絶たない。

ただし近年では医療技術やメイクアップ技術が飛躍的に向上し、グラビアアイドルを現役で続けながら、俳優業やタレント業も兼務する例も多くなってきた。2003年は、前年まで続いた癒し系を求める流れが一段落し、個性豊かなグラビアアイドル達が多数デビューした年である。この年のグラビア界を席捲した存在といえば井上和香である。前年からの勢いをバックに『ワカパイ』の愛称で、かのマリリン・モンローと3サイズが同じというグラマラスなボディーと癒しの深み、イタズラっぽいクリッとした瞳と柔らかさが伝わる厚目の唇という多くの武器を兼ね備えた新時代のグラドルとして『日テレジェニック2003』選出を皮切りに、この年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。

2007年11月17日土曜日

癒し系グラビアアイドル

20世紀末に出てきた癒し系グラビアという流れは、「平成不況」という世相が反映して生まれたものであり、近年の各メディアでも多く支持される流れにある。がこれはあくまで表面上のことであり、癒し系ならば人気が出て他は支持されない、などといった単なる二元論で判断できない事も付け加えておく。力のあるものにとっては、グラビアのスタイルの違いなどは微々たるものでしかない。総じて1970年代半ばより現れ始めたグラビアアイドルは、その時代の社会的ニーズや流行によって変遷し、その時代に則した者が大きな人気を獲得している。

業界内では「若いうちは脱ぐ」「胸も顔のうち」と言われる事も多く、最初の写真集グラビア撮影時にビキニを着るのが恥ずかしくて泣いてしまったという乙葉が「水着にならなくていいアイドルは松たか子だけと言われた」という有名なエピソードも存在する。本来グラビア露出は芸能活動のほんのワンステップに過ぎず、ある一定ラインの年齢を過ぎたら、女優やタレントに転身して行く場合が殆ど。本上まなみや佐藤江梨子、眞鍋かをり等のようにグラビア経験者が、後に文才や芸術の才能を発揮しグラビアとは全く別のことで注目を浴びる場合も数多い。

また浜崎あゆみや華原朋美、ZARDの坂井泉水など歌手として大成した人物の中にも過去にグラビアアイドルを経験している女性芸能人は多く存在する。しかし21世紀に入ると、自ら現役グラビアアイドルと公言し、グラビアを卒業せずにタレントや女優としての活動を並行して進める者が現れ始める。例として小倉優子、ほしのあき、熊田曜子、安田美沙子、磯山さやかなどはテレビで頻繁に出るようになっても尚、グラビア誌面でもトップとして君臨し続けている。

こういったグラビアと他の芸能活動を並行する傾向は年々増加しており、緑友利恵、松井絵里奈、木下優樹菜などグラビアアイドルとして(もしくはその他の路線と並行して)デビューしその活動がまだ安定しないうちからテレビのバラエティ番組へと青田買いされていくケースも現れ始めている。その一方で、売れないグラビアアイドルがヌードモデルやAV女優へと転身する例がみられるようになり、「着エロ」というジャンルが確立されてからは「着エロアイドルからAV女優に転向」という例が頻繁にみられるようになった。彼女たちの中にはAVデビュー後も「現役グラビアアイドル」という肩書きを持ち続ける者や、「あくまでも芸能活動の一環としてAVにも出ているだけで、AV女優に転向したわけではない」などと主張する者もいる。