2007年10月24日水曜日

グラビアアイドルの歴史

グラビアアイドルの歴史は、1970年代半ばより活躍したアグネス・ラムに始まるといえる。女性を扱ったグラビア掲載誌は1964年創刊の『平凡パンチ』(マガジンハウス刊)、1966年創刊の『週刊プレイボーイ』(集英社刊)などがあったが、当時の女性アイドルは、ほぼすべてがテレビ出演やコンサートでの歌手活動をメインとしていたことで「アイドル歌手」とも呼ばれ、グラビアも彼女たちと専任のヌードモデルで占められていた。彼女たちのグラビアにおける水着披露は、歌手としての人気を獲得するプロモーションの一環に過ぎず、「あくまで本業は歌手」という括りであった。

1974年に小学館からA4大判のグラビア雑誌『GORO』が創刊される。それまでの雑誌グラビアがどちらかといえば読み物記事の添え物といったような扱いだったのに対し、『GORO』は表紙と巻頭グラビアを写真家の篠山紀信が担当。無名女性モデルのヌードからアイドル歌手、新進の若手女優を等価に扱った、『激写』という名グラビアコーナーを生み出し、セクシーさや何気ない普段着のエロスを強調したグラビアを発表。これが世に受けてグラビア写真により大きな比重を置いた雑誌として成人男性読者を中心に大きな反響を呼ぶ。そんなグラビア誌という土壌が出来つつあった翌年の1975年、初代クラリオンガールとして芸能界デビューしたのがアグネス・ラムである。

彼女はその時代性ゆえに歌手デビューも果たしているが、あくまで雑誌グラビアでの活動をメインとする点で、グラビアアイドルの始祖と呼べる存在であった。その人気は大磯ロングビーチイメージガールを初代から3期連続で務めるほど高く、雑誌グラビアが注目されるようになったのは彼女の功績が非常に大きいといえる。またその翌年にスタートした『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』で優勝した榊原郁恵が歌手デビューするのと同時に豊満なバストを持つ健康的なビキニ姿でグラビアでも大きな人気を獲得している。

1979年3月には現存するグラビアアイドル専門誌としては最古になる『BOMB』が学研より創刊。当時はアイドルとは無縁の雑誌であったが、翌年以降に松田聖子らアイドル歌手を表紙やメインの特集記事として起用するようになり、発行部数を飛躍的に伸ばしている。『ミスマガジン2005』はプロデューサーのつんく♂が初めて審査員に参賀し、北乃きいがグランプリを史上最年少で獲得。しかしこの年に話題を攫ったのは、つんく♂賞に選ばれた時東ぁみだった。

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